「授業」「勉強」「学習」これらの言葉を学校では同じような意味だと思って使われることが多いです。
例えば、授業前の日直の号令も、クラスによって
「これから、1時間目の(国語の)授業を始めます」というクラスもあれば、
「これから、1時間目の(国語の)勉強を始めます」
「これから、1時間目の(国語の)学習を始めます」というクラスもあります。
果たして、この3つは同じ意味なのでしょうか?
授業は、教師がすること
授業は「業を授ける」ということです。
意味は「学校などで学問、技術などを教え授けること」です。
つまり授業は「教師が児童生徒にすること」です。
だから日直の「これから授業を始めます」という号令を聞く度に「あなたは授業しないでしょ」「授業を始めるのは先生でしょ」とツッコミを入れたくなってしまいいます。
子どもの立場で言うと「授業を始めます」ではなく「授業を受けます」が正しいことになります。
勉強は、受け身の姿勢
「授業」をするのは教師なので、子どもがすることは「勉強」と「学習」になります。
この2つの意味の違いは何でしょう。
勉強は「勉めを強いる」ですね。
意味は「無理しても努力して励むこと」です。
中国語で「勉強」というと
- 無理強いする・無理にさせる
- 無理矢理・自分を強いて
という意味になります。
勉強という言葉には、「本当はやりたくないことを頑張る」という意味合いがあるのです。
学習は主体的な活動
学習は「学び習う」ということです。
「勉強」には受動的な意味合いが強いのに対して、「学習」には主体的で能動的な意味が強くなります。
「学習」から「習う」要素を外した言葉が「学び」です。
「主体的で対話的な深い」の後に続く言葉が「学び」であることからも、「学び」が1番「自ら進んで」行う行為だということが分かります。
東京大学・青山学院大学名誉教授の佐伯胖氏は「勉強と学び」について次のように語っています。
私が考える勉強と学びの定義とは『勉強』=教えに従って『身につけるべきこと』を身につけること。『学び』=自分から『こうありたい』自分になること。
多元的共生社会におけるコミュニケーションシリーズ 第2回「学びとアート」の関係を問い直す 講 演:佐伯 胖
勉強とは、分からせたいことや学ぶべきことを想定して、上手に学ばせて先取りする姿 が良いとされる。それに対して、自分で本当だと思うことを自分で楽しみながら探求して いく。これが学び。
「学び続ける子」を育てるために
「自ら進んで学ぶ」ためには、楽しさがベースになければなりません。しかし、やり方が分からなければ「学ぶ」ことはできません。だから「習う」ことも必要になります。
「学ぶ」にしろ「習う」にしろ、「進んで取り組む」ことです。
何気なく「勉強」と「学習」の意味の違いを意識せずに使うことが多いと思うのですが、
「勉強させられる」「勉強させる」のではなく、「進んで学習する」「学習できる環境を創る」と意識を変えることが大切です。
※それぞれの言葉の意味は「Oxford Language」の定義です。
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